先日、仕事を終え帰宅すると甘~い香りが玄関に漂っていて、
「ん?何?」と思いながらキッチンに入ると、娘がお菓子を作成中。
今年から大学生になった娘は、部活やバイトで日々忙しく、こんなに早い時間に家にいることも珍しいのに、お菓子を作っていることにもびっくり。
娘が「今日は午後から予定がなったから、いつもお世話をかけてるお母さんにプレゼント。
もうすぐフロランタンが焼き上がるから楽しみにしててな。」
そう言われて喜んだものの、お小遣いの請求かな?と勘ぐってしまった私。
それは心の中にしまい込み、ひとまず出来立てのフロランタンをいただくことに。
食べてみると、なかなかの出来栄え。(親ばかです…)
二人でお茶を飲みながら、久しぶりに娘とガールズトーク。
そういえば中学生の頃、バレンタインに友チョコをたくさん作り、余った物をお父さんにあげると、「お父さんのために作ってくれたのか」と、感激しながら「世界一美味しい!」とすごく嬉しそうに食べていた主人を思い出し、二人で大笑い。
慌ただしい日々の中、ほっと一息つけた楽しい時間となりました。
みなさん,動物はお好きですか?
みなさんの中には,ペットを飼われている方も多いかもしれません。自分の側にいてくれるだけで,心から癒される存在。自由奔放に動き回る姿は,自分の子供のように感じられます。動物やペットの魅力は一言では語りつくせません。
私の飼ってみたい動物は,ふっくらとした体,くりっとした大きな瞳,愛らしい顔,そして時折見せる利口な一面を兼ね備えています。このように書くと,イヌやネコ,ウサギなどを想像されるかもしれません。もちろん,そうした動物たちもチャーミングなのですが,マイ・フェイバリット・アニマルはフクロウなのです。
最近は,文房具コーナーでもフクロウのイラストを見かけるようになりました。手帳やノートの表紙になったり,カレンダーに登場したり,素敵なシールになっていたり。また店頭に,フクロウの置物があることも増えたように思います。世界的に有名な魔法使いの小説の影響もあるでしょうが,フクロウが流行しているのだと感じています。好きだから目に留まるだけかもしれませんが,街を歩くだけでフクロウに出会えると,とても心が弾みます。
なんだか気分が落ち込むときには,インターネット上で公開されているフクロウ動画を検索して見ています。フクロウの表情や動きを見て,鳴き声を聞いていると,とてもほっこりした気持ちになります。動物たちが人間に与える癒し効果は絶大なのだ,と実感しています。
実際にペットとして飼うには,住環境から整えなければならず,とてもハードルが高い(高すぎる)のですが,いつか実現させてみたいと考えています。目下,どうにかして直接フクロウと触れ合う時間を作り出したいと考えている次第です。
赤ちゃん学研究を基盤にした、保育・幼児教育分野の音楽教育に関する教科書を作っている。これは日本赤ちゃん学会の音楽部会が実施している音楽表現講座「赤ちゃんと音楽」で講師を努めるメンバーが中心になり、編集、執筆したものである。12月上旬には上梓される予定だが、この本の「かなめ」の一つは、赤ちゃん学が明らかにしてきている赤ちゃんの育ちの姿を「証拠」にして書かれていることである。その中でも「聴力」がどのように成長の過程で変化するかについて、本学赤ちゃん学研究センターの嶋田容子研究員が執筆されているが、そこで示された事実は、現在の「保育音楽」のあたりまえをおおきく変化させるものになると思っている。つまり、保育室内での赤ちゃんとの音楽表現活動が、見直されるのではないか?と。
乳幼児期に関する音楽教育は、ともすると英語教育と同じく「早期教育」の立役者となることが多く、これまでの36年間の教員生活でいろいろな育児雑誌から取材を受けた。が、早期教育の視点では、音楽が私たちにもたらしてくれる「楽しみ」や「歓び」「やすらぎ」、時には「なぐさめ」や「励まし」という、まるで友の力のようなすばらしさはすっかり忘れ去られて、赤ちゃんの「脳」の発達に良い音楽は?とか、「絶対音感」を付けるには何歳からレッスンが必要か?などという問いに終始した。
赤ちゃんの聴こえのすばらしさのみならず、その聴力の特殊性を知ると、音楽は教えるものという考えやピアノ伴奏で歌うものという「しきたり」の、保育の場での音楽活動が大きく転換するのではないかと思える。赤ちゃんと親や保育の声や表情、視線や体の動き、による何気ないやりとりの中に「音楽遊び」の神髄を位置付ける重要性が良く見えてくるだろう。
どうして?何それ!と、思われた方は是非とも読んでみてくださいね。
「…え、これって、宣伝ツブヤキだったの?」
「うん。ついでにもう一つ宣伝すると、今年の音楽表現講座の第一回目の講義は本学赤ちゃん学研究センター長小西教授の『赤ちゃん学と音楽』の講義から始まるの。11月19日20日と12月17日が開催日で、会場は聖心女子大学です。詳細は『日本赤ちゃん学会HP』で見てくださ~い!」
同級会の便りがよくきます。年を取るとだんだん増えてくるようです。正直困るというのが本当で、なつかしいねという思いはあるのですが、そのあと「だから」と思ってしまうのです。今を必死で生きているからとか、いつも前向きだからということではなく、何となくめんどうくさいのです。年を取ると昔のことばかり覚えていて、新しいことは忘れがちになるといいますが、どちらも忘れ始めている自分は?
最近眼鏡を変えました。死んだ父親の眼鏡を修理して。そのときデパートの係の人からおやじのことを聞かされて、そういえば父は私に何も語らなかったけれど、他人から父の話を聞くことがよくあります。私には何も語らず、他人から語らせるといったおやじの姿勢に大正時代の親のありかたを実感しています。以心伝心とはこういうことかもしれません。なにより、眼鏡をかけた自分がおやじそっくりなことがなによりのおやじの伝えたかったことなのかと。