むかしむかし、スイスにソシュールという言語学者がいました。
ある日彼は、言語の仕組みについてすごいことを思いつきました。
それまで言葉は世の中に存在するモノを指し示すためのラベルであると考えられてきました。たとえば、蝶(ちょう)という昆虫がいるから蝶という名前がついたというような。モノが先で、名前が後、という関係ですね。
でも、もしかしたら逆ではないか。つまり、名前がつくことが先で、その結果、対象が他のモノから分離し、浮き上がってくるというような関係。
たとえば、蝶という言葉があることで、蝶という昆虫が認識され、他の昆虫(たとえば蛾とか)と区別されるるようになったのではないかと彼は考えたのです。
「うそだー」って思う?
でも、私たちが赤ちゃんから子どもにかけて言葉を覚えていくときのことを想像してみてください。モノの名前を覚えることが先で、その後にモノの概念を獲得していきますよね?
犬をみて、「ワンワンだよ」と教えられた子どもが、ネコを見ても「ワンワン!」って言うのは、まだ犬も猫も区別ができていない同じ種類のモノと考えている状態です。そこで大人が「あれはワンワンじゃないよ。ニャーニャーだよ!」と教えることで子どもは両者の違いに気づき、犬と猫を違うモノとして認識するようになります。
大人同士でも似たようなことを起きています。たとえば私たち日本人(正確には日本語話者)にとって、明快に異なる蝶と蛾(が)は、フランス人(フランス語話者)にとっては、同じモノ、おなじ「パピヨン」という言葉で表されます。
モノが先で名前が後なら、どんな言語であっても世の中は同じように区別され、切り取られ、整理されるはずですが、実際にはそうなっていません。
私たちは、生まれたときは言葉を喋れず、その後の経験の中で身につけていきます。ですから、言葉を覚えるということは、同時に世の中をどう認識するかを、育つ文化圏に応じて、身につけていくことになります。私たち一人一人が成長するとき、世の中をどう見るかは言葉の獲得を通じて無意識のうちに形作られるのだと言えます。
まだ信じられない人には別の例を挙げましょう。
皆さんにとって虹は何色ですか?日本人にとって虹は七色(赤、橙、黄、緑、青、藍、紫)ですよね。
でも、西洋では虹は七色ではなく六色です。他の文化圏、たとえば、モンゴルでは虹は赤、黄、青の三色しかないと言われています。
同じモノをみて、同じ目の構造、脳の構造を持っているはずなのに、どうして虹の数が変わるのでしょう。これもまた、言葉を通じて世の中をどう見えるかが規定されていることを示す例といえませんか?(これを言葉による世界の分節化といったりします)
「順番は守りましょう」とか「人の話は良く聞きましょう」といったことは、確かに経験(あるいは教育)によって学ぶものです。けれども、この、「世の中の見え方」は無意識に獲得されるものであるため、あらかじめ人間が共通して持つ能力で、だれでも同じように世の中を見ていると思いがちです。たしかにだいたいは同じなので、他の人と自分で見え方に違いがある!と気づくことは滅多にありません。でもふとしたところでこの違いにでくわし、私たちはびっくりします。こういうのを知るのって楽しいですね!
「世の中をどう見るか」は育つ文化圏に応じて変わるといいましたが、その一方で異なる文化圏で「世の中の見方」が全然違う!なんてことは起こりません。これはどうしてなのでしょう。この話については、次回私の専門分野の「知覚」を絡めてお話ししたいと思います。
最後になりましたが、赤ちゃん学研究センターでは、ヒトがひとになっていくための仕組みについて興味を持つ人たちが集まっています。皆さんも一緒に考えてみませんか?
ちなみに、この斬新な考え方を発見(発明?)したソシュールさんは、これを世の中に問う(論文を書く)ことをせずに死んでしまいました。でも彼は近代言語学の祖と言われています。どうやって後世に残ったか。これは授業をうけた学生達が奮起して自分たちのノートを持ち寄り、講義録を作ったんですね。なんて先生冥利に尽きる話なのでしょう〜(^^)
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心理学を少しでも学んだ人ならば「アルバート坊や」と聞くと、「
そう。これはまだ調査参加者の人権に対する意識がほとんど無い頃
と、前置きはこのぐらいにして、どんな実験だったか簡単にご説明しますと、、
何も知らない子どもに、ラット(実験用のネズミ)を抱かせながらガンガンとバケツを叩くような音を大音量で聞かせることを何度も続けたら、最終的にはラットをみるだけで泣き出すようになるんじゃないか、、を知りたいと思ってやってみたらそうなりました、というまぁ確かに非道いよねって言われるような実験なのです。
不幸なことに、この実験に参加した生後11-12ヶ月のアルバー
一応実験者のワトソン(行動主義の提唱者。とても有名な心理学者)を弁護するならば、彼は「人は遺伝で決まるのではない!経験がほとんどすべてを決めているのだ!」と考えていて、特に赤ちゃんは何も書かれていないホワイトボードのような存在で、経験とともに人格、知性、運動能力などが決まっていくのだと主張したのです。それを証明するための実験としてこんなことをしたんですね。彼はこんなことも言っています。「私に12人の子どもを預けてくれれば、弁護士、政治家、犯罪者、どのような人でもお好みに応じて育ててみせる」と。現在では、彼の考えは極端なものであって、遺伝と環境の相互作用で人は形作られると思われています。
いや、たしかにそのテーマは興味深いけど、どうして「恐怖の学習」を選ぶ必要があったんでしょうね。そしてその子はその後どうなっちゃったの?って思うのではないでしょうか。
今回のつぶやきは、これを調べた論文を紹介したいと思います。
先に言っておくとネタはこちらにあります。10年近く前のブログの記事ですが、当時これを読んでとっても印象に残っているので、こうやって皆さんにもお伝えしたく書いているというわけです。ワトソンの実験の様子を説明した動画もそちらにあるので見に行って下さい。(2020.4.1 追記 久しぶりに来たらリンクが切れています…かわりに、もともとの論文をご紹介しますね。Beck, H. P., Levinson, S., & Irons, G. (2009). Finding Little Albert: a journey to John B. Watson’s infant laboratory. Am Psychol, 64(7), 605-614.)
このブログで紹介されている論文によると、この人らしいという人は見つかったけれど、すでに亡くなっていたそうです。でもその途中で様々なことが分かります。
たとえばアルバートのお母さんはワトソンの職場の近くの病院で働く乳母であったこと。なぜ彼女がこの実験に子どもを参加させたのかは分からないけれども、参加費用が高額だったせいかもしれないこと(彼女は一度来訪する毎に1ドル(当時のこの職の女性にとってはかなりの金額)を受けとっていました)。アルバートは偽名だった可能性が高いこと。母親は偽装結婚で子どもを産んでいたこと。などなど。。当時は研究倫理の考え方がありませんでしたから、ワトソンは社会的弱者を利用する形で研究を進めたと言われてもしょうがないですね。現代の観点からは批判すべきところです。
そもそもこの論文は当時の社会においても議論の的となる研究だったようです。そんなときに彼は共著者の女子学生とのラブロマンスをすっぱぬかれ、奥さんに離婚され、解雇されます。その後彼はアカデミックの世界からは姿を消します。
(ただ彼自身は有能な人物だったのでしょう、その後世界有数の広告会社(J. Walter Thompson)へ転職した後、副社長まで上り詰めます。心理学オタクのための小ネタを付け加えておくと、ワトソンはその後生まれた二人の子どもにウィリアムとジェームズという名前をつけています。繋げて読むとウィリアム・ジェームズ。これまたとても有名な心理学者です。きっと心理学にはまだ未練があったのでしょうね。)
一つの論文の中にもドラマがある。そんなお話しでした。
<必ず読んで欲しい、ささやかなあとがき>
前置きにも書きましたが、こんな非人道的な調査は、今はどこでも行われていません!
私たち赤ちゃん学研究センターでは、赤ちゃん調査を行う場合、研究倫理審査委員会に研究計画を提出して審査してもらい、承認を得てから行っています。審査は、目的にとって不必要なことを行っていないか、参加者の権利を侵害していないか、個人情報の保護は十分かなど、複数の視点から行われ、特に医学系審査の場合は承認が下りるまで2,3ヶ月かかることもよくあります。
これからご参加を検討されている保護者のみなさま、どうぞご安心してご参加下さい。
スタッフ一同お待ちしております。
赤ちゃん学と深い関係のあるソシュールのお話もよろしければこちらからどうぞ!
NHKで不定期連載的に「漫勉」という番組を放送しています。
日本で活躍している漫画家さんの仕事場に定点カメラを置き、3日ほど記録したものを、撮影された本人と浦沢直樹が見ながら語り合うという番組。
浦沢直樹は皆さんご存じ、20世紀少年、BILLY BAT、PLUTOなどヒット作を連発して手塚治虫文化賞大賞を二度も受賞した日本の至宝ですよね(旧装丁のMASTERキートン全巻持っています)。映るのは二人のやりとり、そしてターゲットとなった漫画家さんの筆先と原稿。たまにワイドに映した映像もあるけれどもそれでも背景は漫画家さんの仕事場。関係資料や雑誌に囲まれたごみごみした様子が見えるだけ。なんとも地味な番組です。
でも、漫画好きにはたまらない。真っ白な誌面に下絵が描き込まれ、ペン入れがされ、スクリーントーンが張られたり、墨で塗られたりして生原稿ができていく様には目を吸い付けられます。
今までに出演した漫画家さん(と代表作?)は以下の通り
浅野いにお 『おやすみぷんぷん』
さいとうたかを 『ゴルゴ13』
東山アキコ 『東京タラレバ娘』
藤田和日郎 『うしおととら』
萩尾望都 『イグアナの娘』『ポーの一族』
花沢健吾 『アイアムアヒーロー』
五十嵐大介 『海獣の子供』
古屋兎丸 『帝一の國』
池上遼一 『サンクチュアリ』
三宅乱丈 『ぶっせん』『イムリ』
高橋ツトム 『スカイハイ』
浦沢直樹 『20世紀少年』
かわぐちかいじ 『沈黙の艦隊』
山下和美 『天才柳沢教授の生活』
清水玲子 『秘密 -トップ・シークレット-』
伊藤潤二 『うずまき』
山本直樹 『レッド』
ながやす巧 『壬生義士伝』
僕がこの番組に気づいたのは今年からだから、山下和美さんから。もっと前から気づいていればよかった!!!
これをみてつくづく漫画家の先生たちは凄いなぁと尊敬の念を新たにしました。
もうあれだけ上手い絵を描いているのに、「もっと上手くなりたい」という一心で書いているっていうんです。下絵だって、まず表に一回、裏返してデッサンの狂いを確認してなぞりながら2回目、表に返して消しゴムをかけて、裏側のを見ながら修正。これで終わりじゃなくて、もう一度裏返して狂いを修正したら、表に戻って、、繰り返すこと7回!別の漫画家の方は、デッサン狂いを確認するのに裏返しをするのは手間だから、手鏡を脇に備えていて、そこに何度も映しては修正するという方法をとっていました。
ながやす巧先生の絵は本当に綺麗ですが、絵だけじゃなくて、時代考証や人物設定、衣裳設定などを固めるために2年間あてるのだそうです。原作付きの作品なのに! その設定資料集がちらりと紹介されていましたが、それがもうすごい。そのまま作品クオリティ。誰が見るわけでもないのにここまで書き込むのかという驚きの連続。
時間をかけて磨けば磨くほど輝くものが作れるのだなということを改めて教えていただきました。見習わないといけないです。
ありがとうございました。
追伸
ちょっと調べたらDVDが出てるんですね一巻4000円ぐらいで10巻セットだと4万円。う〜〜〜〜〜ん。買っちゃう?
追追伸
作品にはリンクでアマゾンに飛ぶようにしています。でも私にはなんのもうけもありません。ねんのため。
シン・ゴジラの話も書いても良いかなと思ったのですが、もうすでに色んな人が語っているようなので、、、
先日書いた『聲の形』ですが、映画の公開が刻一刻と近づいています。
文部科学省がこの映画とタイアップして、小、中,高、特別支援学校にポスターを配布するほか、特設サイトも作成します。
文科省としては、いじめ・自殺防止、特別支援への理解、インクルーシブ教育システムの構築という施策と合致するからなんだそうです。
多くの人の目に触れるのが単純に嬉しいのと、このような動きを実現するために一生懸命努力をした人がいたのだということもまた嬉しいです。それほどこの作品には人の心を動かす力があります。
そういえば、ネットの何処かで、この聲の形(たしか読みきり版)を文科省のどこかの委員会で委員の方が参考資料として提出したという記事を読んだことを思い出します。そうかと思って文科省のサイトに行って議事録を読んだところ(議事録とかってみんな公開されてるんですね)、ほんとにそういうことがあったのをみて、しかもその方が、たしか聾唖協会の関係者の方で、そういう当事者にごく近い方が、この漫画を評価していることをしり、本当に感動しました。
世の中嫌なニュースもたくさんあります。でも良いものが、人々の善意によって広がっていく様を見られると、まだまだ日本も捨てたものじゃないですね。
若干19歳でこの作品の原型を作り、周りの妨害や援助をうけて連載版を書き上げたこの作家は、そのメッセージだけでなく、プロットの立て方、構成、細部への気配りが信じられないほどに芸術的です。これは漫画でしか味わえないものですから、よかったら一度読んでみてください。