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スタッフのつぶやき

発達と世の中の見え方(言葉による世界の分節化) :赤ちゃん学とソシュール

  • 投稿日: 2018年11月30日 著者: 加藤 正晴

むかしむかし、スイスにソシュールという言語学者がいました。
ある日彼は、言語の仕組みについてすごいことを思いつきました。
それまで言葉は世の中に存在するモノを指し示すためのラベルであると考えられてきました。たとえば、蝶(ちょう)という昆虫がいるから蝶という名前がついたというような。モノが先で、名前が後、という関係ですね。

でも、もしかしたら逆ではないか。つまり、名前がつくことが先で、その結果、対象が他のモノから分離し、浮き上がってくるというような関係。
たとえば、蝶という言葉があることで、蝶という昆虫が認識され、他の昆虫(たとえば蛾とか)と区別されるるようになったのではないかと彼は考えたのです。

「うそだー」って思う?

でも、私たちが赤ちゃんから子どもにかけて言葉を覚えていくときのことを想像してみてください。モノの名前を覚えることが先で、その後にモノの概念を獲得していきますよね?
犬をみて、「ワンワンだよ」と教えられた子どもが、ネコを見ても「ワンワン!」って言うのは、まだ犬も猫も区別ができていない同じ種類のモノと考えている状態です。そこで大人が「あれはワンワンじゃないよ。ニャーニャーだよ!」と教えることで子どもは両者の違いに気づき、犬と猫を違うモノとして認識するようになります。

大人同士でも似たようなことを起きています。たとえば私たち日本人(正確には日本語話者)にとって、明快に異なる蝶と蛾(が)は、フランス人(フランス語話者)にとっては、同じモノ、おなじ「パピヨン」という言葉で表されます。
モノが先で名前が後なら、どんな言語であっても世の中は同じように区別され、切り取られ、整理されるはずですが、実際にはそうなっていません。

私たちは、生まれたときは言葉を喋れず、その後の経験の中で身につけていきます。ですから、言葉を覚えるということは、同時に世の中をどう認識するかを、育つ文化圏に応じて、身につけていくことになります。私たち一人一人が成長するとき、世の中をどう見るかは言葉の獲得を通じて無意識のうちに形作られるのだと言えます。

まだ信じられない人には別の例を挙げましょう。
皆さんにとって虹は何色ですか?日本人にとって虹は七色(赤、橙、黄、緑、青、藍、紫)ですよね。
でも、西洋では虹は七色ではなく六色です。他の文化圏、たとえば、モンゴルでは虹は赤、黄、青の三色しかないと言われています。
同じモノをみて、同じ目の構造、脳の構造を持っているはずなのに、どうして虹の数が変わるのでしょう。これもまた、言葉を通じて世の中をどう見えるかが規定されていることを示す例といえませんか?(これを言葉による世界の分節化といったりします)

「順番は守りましょう」とか「人の話は良く聞きましょう」といったことは、確かに経験(あるいは教育)によって学ぶものです。けれども、この、「世の中の見え方」は無意識に獲得されるものであるため、あらかじめ人間が共通して持つ能力で、だれでも同じように世の中を見ていると思いがちです。たしかにだいたいは同じなので、他の人と自分で見え方に違いがある!と気づくことは滅多にありません。でもふとしたところでこの違いにでくわし、私たちはびっくりします。こういうのを知るのって楽しいですね!

「世の中をどう見るか」は育つ文化圏に応じて変わるといいましたが、その一方で異なる文化圏で「世の中の見方」が全然違う!なんてことは起こりません。これはどうしてなのでしょう。この話については、次回私の専門分野の「知覚」を絡めてお話ししたいと思います。

最後になりましたが、赤ちゃん学研究センターでは、ヒトがひとになっていくための仕組みについて興味を持つ人たちが集まっています。皆さんも一緒に考えてみませんか?

ちなみに、この斬新な考え方を発見(発明?)したソシュールさんは、これを世の中に問う(論文を書く)ことをせずに死んでしまいました。でも彼は近代言語学の祖と言われています。どうやって後世に残ったか。これは授業をうけた学生達が奮起して自分たちのノートを持ち寄り、講義録を作ったんですね。なんて先生冥利に尽きる話なのでしょう〜(^^)

奈良派。

  • 投稿日: 2018年11月16日 著者: 小野 恭子

奈良に住んで11回目の秋を迎えました。
いいところです。
とかいって、ホントのことを言えば、東京にいたころは“奈良県”の場所を考えたこともなかったのです。

2008年夏、東京の大学にあった研究室が10月に同志社に移ることが決まり、あわててネットで京都市内で住処を探してみたものの、なかなかピンとくるものに当たらない。
とりあえず、研究室の引っ越し作業だけでも大変なので、私の家探しは研究室が移ってからでもいいかな…と思っていました。
たまたま仕事の関係でよく連絡をとっていた大阪の方から「引っ越し先はみつかりましたか?」と聞かれ、「京都で探してみたんですけど、なかなかねぇ」とお答えすると、「おのさん、木津川市ですよね?それやったら京都より奈良ちゃいますか?」と。
奈良?
奈良ってどこだっけ?
というのが正直な気持ちで…今思えば、ひどい話です。
そのときすでに9月も半ばになってました。

あわてて調べてみると、研究室の移動先の “木津川市”は京都府の最南端で隣は奈良市。
では、奈良市で探してみるか…と検索したところ、1件だけ、これなら住んでみたい!という物件にあたり、9月下旬の大阪出張の際に内見して、もう心は決まりました。
研究室が10月1日に始まることもあり、私がその家に入ることはできたのは、10月4日でしたけど。(それまでは、けいはんなプラザホテルに泊まってました。)
さらに、東京の家財を奈良に移動させるには行ったり来たりしながら2ヶ月を要したのですが、今もまだ、10年前の怒涛の流れは鮮明に記憶に残っています。

そんな流れにのって住むことになりましたが、10年の間に奈良の四季は私の中に刻み込まれ、今なお新鮮に映ります。あまり奈良でゆっくりできる時間がなかったからかもしれませんけど。
奈良の歳事は挙げればキリがないですが、私が毎年「確認」しているのは、東大寺の修二会(お水取り)と正倉院展。お水取りがなければ春が始まらないし、正倉院展がなければ秋が深まらない。そして、毎年「確認」するたびに奈良に住めたことの幸せをかみしめています。
「わたしは、奈良派。」
という近鉄の広告を見るたびに、「はぁ~い!」と心の中で手をあげ、11年目も楽しみます。

大好きな景色(大仏池周辺の紅葉と大仏殿と若草山)

ちなみに。
“お水取り”について語るとしつこい!長い!と皆さまから苦笑いされますので、その話はまた今度。

大好きな景色(修二会の松明が上がる階段下)

第70回正倉院展に行ってきました

  • 投稿日: 2018年11月02日 著者: 越智 通秀

奈良国立博物館で、第70回正倉院展が11/12(月)まで開催されています。
古都奈良の秋の風物詩となった正倉院展ですが、今年は70回目の節目の年となります。
土日は大変な混雑なので、平日に行ってきました。それでも入場するための行列ができており、入るまでに15分程かかりました。
今年は56件の宝物が展示されており、内10件は初出陳です。毎年、出陳物は入れ替わっており、今年出陳された宝物の次の出陳は、おおよそ10年後だそうです。
正倉院宝庫は、北倉(ほくそう)、中倉(ちゅうそう)、南倉(なんそう)に区分され、聖武天皇ゆかりの宝物は北倉に、東大寺ゆかりのものは南倉に、献納品は中倉に収蔵されています。
今年のポスターに掲載されている「玳瑁螺鈿八角箱(たいまいらでんはっかくのはこ)」は、中倉の収蔵品です。海ガメの甲羅の加工品が全面に貼られ、螺鈿や琥珀(こはく)などで飾った豪華な木製献物箱です。
聖武天皇ゆかりの宝物としては、『国家珍宝帳』に記載されているご遺愛の鏡「平螺鈿背八角鏡(へいらでんはいのはっかくきょう)」が出陳されています。背面は、ヤコウガイや琥珀、細かく砕いたトルコ石を用いた精妙な装飾が施されています。鎌倉時代の寛喜2年(1230)に盗難にあった際、大きく破損しましたが、明治期に修理が行われたとのことです。背面から見ると継ぎ目は分かりませんが、表面(鏡面)から見ると、継ぎ目が分かるそうです。直径は約33cm、縁の厚さは約0.7cm、重さは約3.5kgもあり、持ち上げるのに苦労するため、中央部分の突起物に紐を通せるようになっているそうです。

又、刺繍(ししゅう)で飾った女性用の靴「繍線鞋(ぬいのせんがい)」(北倉)も出陳されています。
麻で作られており、室内用です。甲の部分に絹で作られた装飾があります。長さは約27~28cmもあり、女性用としては大きいとの印象を受けました。絹は1000年も過ぎると、風化して粉状になってしまいますが、まだ原型を留めています。絹製で原型を留めているものは、世界でもここだけのようです。

さらに、新羅琴(しらぎごと) (北倉)も出陳されています。朝鮮半島に起源する12絃の琴(日本は13絃)ですが、裏板がないため、日本の琴のような音色ではないようです。

正倉院宝物は、756年(天平勝宝8歳)6月21日、光明皇太后は夫である聖武天皇の七七忌に際して、天皇遺愛の品約650点、及び60種の薬物を東大寺の廬舎那仏(大仏)に奉献したのが始まりとのことですが、光明皇太后が書かれた目録(献物帳)が保管されており、各宝物の名前はこの目録に記載されたものだそうです。又、奉献の理由も記されており、天皇遺愛の品を見ると悲しくなるから、傍に置かず、聖武天皇が建立され、思い入れも深かった東大寺の大仏に奉献されたとのことです。決して嫌いだから全部処分したという訳でないようです。ロマンを感じますね。

正倉院宝物が凄いのは、1000年前の品々が原型を留めて保管されていることであり、さらに、目録から倉からの出し入れ(貴族などが借りることができた)も含め、全ての記録が台帳(文書)に残されていることです。天皇ゆかりの宝物であることが大きな理由ですが、日本人の一貫した精神や几帳面さを感じざるを得ません。

皆さんも、古の雅の文化やロマンに思いを馳せてみませんか。

私の好きなもの

  • 投稿日: 2018年10月19日 著者: 請園 正敏


ガンダムバーに行ってきました(注:写真は請園本人です)。私はガンダムが好きで、シャアが好きです。小さいときは青が好きでしたが、気づけば赤い持ち物が増えてきました。小さいときに見たガンダムは、よく分からなく、ロボット(作中ではモビルスーツ)が好き、と思っていたことは記憶してますが、作品が好きということではありませんでした。好きというものは、どのように変化していくものなのでしょうか。

例えば、好きな食べ物と嫌いな食べ物があったとき「昔は好きで良く食べたけど,食べ過ぎて嫌いになった」という表現をよく耳にします。しかしながら、本当にそんなことは起こるでしょうか。
乳幼児期では、身近な大人から与えられたものは、よほど変な味ではない限り、幅広く色々なものを受け入れるそうです。そして乳幼児期の比較的早い段階に、個々の人の食の好みのおおもとが形成されるそうで、この間に口にしてないと、3歳くらいからは新しい味のものを食べようとしない傾向が強まるそうです(ブルーム/春日井訳 , 2006)。また、そもそも、食べ物が美味しいと感じるのは、その栄養素が足りていないからとも解釈可能です(注:「美味しい」のはなぜ?という研究は未解決なので,詳細は割愛しここでは持論を展開)。例を挙げると、汗を大量にかいたあと、塩辛いものを美味しく感じるのも、体が欲しているからと考えられます。ここから、好きではない食べ物は、初期の経験または体が欲していないからと考えられます。また、好きか嫌いかの判断は直感的に行い、理由はあとで考えることが示されています(Hall et al., 2010;気になる方は動画をどうぞ:https://youtu.be/wRqyw-EwgTk)。これらを踏まえると、食べ物の好き嫌いは初期の経験または体が欲していなく直感的に判断し、その上で理由を「わざわざ」考えているようです。もちろん、嗜好品(チョコや依存になる食べ物)を始めとした、脳が欲している好きもあるでしょうが。ここから考えてみても、私がガンダムを好きになった理由は分かりません。

では、ロボットが好きなんでしょうか。男性はロボットや車が好きというのは知られていても、私が不勉強であるからか、「なぜ」に答えられる解を持っていません。小さい時から、弱いものを守って戦うヒーロー的存在が好きであることは示されています(Kanakogi et al., 2017:日本語で見たい方はこちらに概要があります。動画も探すと見られますURL:http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research/research_results/2016/170131_1.html)。ここからは、アンパンマンは好きになる理由が分かるでしょうが、バイキンマンは好きになりません。ガンダムにおけるシャアは負ける側ですので、単純にヒーローだから好きというわけではなさそうです。ここから考えてみても、私がガンダムを好きになった理由は分かりません。

負けの美学という言葉がありますが、それを知るのはいつ頃でしょうか。私は小さいときにガンダムを見て、中高生のときにもう一度、ここまでは純粋にロボットが好きだったのでしょうが、20歳を超えてからまた見たときに、作品を好きになったことを覚えてます。ここから考えると、中高生までは、ヒーローが好きだった、あるいはロボットが好きだったのではないかと推察できます。なぜシャアが好きなのかを今一度考えると、彼の考えや生き方が好きなのだと思います。それは単純に言い換えれば「凄いやつ」だから好きなのではないでしょうか。そういう価値観が生まれるのが、20歳を超えてきてからなのか、私が遅かったのかわかりませんが、発達心理的にはアイデンティティの確立くらいは来てそうです。自我がしっかり確立して、初めて、ヒトの内面的なものをしっかり考慮して好きという判断を下していそうです。これなら、私がガンダムを好きになった理由が少し見えてきました。しかしながら、神経メカニズムは分かりませんね。
また、新しく生まれる疑問は、80歳になっても「凄いやつ」が好きでい続けるんでしょうか?「凄いやつ」を相手に逆に嫉妬を抱くのはどういうときなのでしょうか?

日々、疑問が生まれます。だからこそ、我々は日々研究しているのでしょうね。

楽しいことはいいことだ!の実践

  • 投稿日: 2018年10月05日 著者: 上野山 公子

秋も深まってきた今日この頃。秋の美味しい食べ物を日々満喫している上野山です。

さて、赤ちゃん学研究センターでお仕事をさせていただいて早、半年を迎えました。
配属当初は、どんな仕事を任されるのだろう…(計算苦手です!英語しゃべれないですよ??( ;∀;))と、不安と期待の中待っていたのは、想像以上に絵を描かせてもらう機会が多いこと!ポスター・チラシ等のデザインも任せてもらっています!
9月に開催された「赤ちゃん学フェスティバル2018」の企画にも関わらせてもらって、正直、絵を描きまくって生きてきた人間なので、超楽しいです!!自分の制作費用を捻出するために、働いていた時期もあったので、好きなことを仕事に活かせることができるなんて、こんな素敵なことはないな~~と、日々実感…ありがたや、ありがたや~m(__)m

その中で生まれた、木津川市との睡眠改善プロジェクト用に描いた「まくらちゃん」制作には、思い入れもまた深く、色んな方が関わってくださって出来上がったキャラクターです。



もし、まくらちゃんを目にする事があったら、睡眠プロジェクトに是非ご協力くださいね。
現在進行形で、ご協力頂いている皆様には大感謝です!

そして、まくらちゃんの仲間が増えるかは…乞うご期待です( *´艸`)

赤ちゃん学研究センターのイベントや企画が盛り上がるといいな!と。今日も妄想をふくらませながら、絵も描きつつ伝票も切りますよ!

あなたの「楽しい」が、わたしも「楽しい」!
・・・がぐるぐるまわったら、ずっと楽しいね!!

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