私が医者になる勉強をしていた、はるか昔、赤ちゃんの行動の主体は「原始反射」と習いました。「原始反射」とは外からの働きかけに対して勝手に身体が反応する動きのことです。それからずいぶん時間がたち、いろんな研究が進んできたにもかかわらず、今もまだ、同じことが唱えられていることは驚きです。
ちょっと訓練を受けた人ならだれでも、赤ちゃんに特定の刺激を与えて決まった運動を誘発することができます。再現性があって、可視化できる。だから原始反射はこんなにも長い間、小児科学などの分野で“赤ちゃんの運動の基本”とされてきたのです。でも本当にそれだけでしょうか?
赤ちゃんの様子をよく見てください。誰も何もしないのに、自分でモゾモゾともがくような運動をしていることがありませんか。実はそうした動きの方が反射よりず~っと長く見られ、また誰もが見ているのですが、この運動が学問的に認知されたのは20世紀後半になってからなのです。この運動をジェネラルムーブメント(GM)と呼び、研究対象としたのが私の恩師プレヒテルですが、今ではロボット工学研究では当たり前のように取り扱われています。案外、こういったこと…つまり視界に入りながらも見落としていること、専門家ほど見えなくなっていること…は、いろいろな分野でありうるのかもしれません。
見えやすいものや見やすいことにだまされるな、ということを研究する上では常に思っておくことが重要だと思っています。
ひとところに2、3日滞在することが、ほぼない。
移動にかかる時間もハンパじゃない。
近々では、先週木曜に京都→東京→富山、富山で一泊、金曜に富山で講演→金沢→新大阪→岡山→高松、高松で一泊、土曜は高松で外来診療をして京都へ移動、日曜はよせばいいのに祇園祭の宵山の人混みの中を夫婦で2時間も散歩、翌日の月曜は神戸で4時間半の講演!そのあと明石で火曜、水曜は病院勤務、ようやく今日は赤ちゃん学研究センター…という1週間のスケジュールをこなしました。
よかったのは富山の駅前で寿司を食べたこと、それも一人わびしく15分で。それ以外はホテルの朝食、あとは弁当か会食…あんまり覚えてない。
木曜に京都駅で切符を一括購入するのに15分以上も時間がかかり、ひと電車遅れてしまい、東京の重要会議に3分遅刻したことが記憶に残ったくらいで、あとは記憶にとどまらず。
そしてまた。今日はこれから東京です。明日の午前中は面接があり、午後は打合せをして京都に戻る予定。もうフラフラ。どこかで倒れていたら起こしてください。
再来週には、恒例となった和歌山県の太地町で調査があり、10日間滞在。これにはセンターから参加するスタッフもいるのでなんとかなるでしょう。
酷暑ですが、私にとっては酷使です。
どーせ、好きでやっているんでしょうとまた言われるのでしょうが。
「これは“つぶやき”ならぬ“ぼやき”。(笑)」(影の声)
同級会の便りがよくきます。年を取るとだんだん増えてくるようです。正直困るというのが本当で、なつかしいねという思いはあるのですが、そのあと「だから」と思ってしまうのです。今を必死で生きているからとか、いつも前向きだからということではなく、何となくめんどうくさいのです。年を取ると昔のことばかり覚えていて、新しいことは忘れがちになるといいますが、どちらも忘れ始めている自分は?
最近眼鏡を変えました。死んだ父親の眼鏡を修理して。そのときデパートの係の人からおやじのことを聞かされて、そういえば父は私に何も語らなかったけれど、他人から父の話を聞くことがよくあります。私には何も語らず、他人から語らせるといったおやじの姿勢に大正時代の親のありかたを実感しています。以心伝心とはこういうことかもしれません。なにより、眼鏡をかけた自分がおやじそっくりなことがなによりのおやじの伝えたかったことなのかと。
3重生活が始まって3年余、京都、香川、神戸を行ったり来たりのなかで老いを感じる暇もなくといいたいところですが、本当のところは結構疲れるし、忘れ物は増える一方だし、同じことを繰り返し繰り返し言っては孫に嫌な顔をされるしで、結構老いを感じてはいるのです。だから敬老精神で温かく見守ってほしいと思うのですが、やさしい教室の人たちは気を遣いつつもいまだに厳しく接してくれているように思います。(つぶやきも訂正させられるし。言論自由はどこに行った!などとは考えもせず)
ただ共同利用・共同研究拠点の認定が下りて以来、今までになかったような面白い話が沢山来るようになり、つい好きなものだから乗ってしまったり、自分から話を持ちかけたりして、結局は墓穴を掘ったり、皆さんに迷惑をかけたりしているのだと思ってはいるのです。でもこれが小西だからと居直っていたりもして、ともかくも今後ともよろしくお願いします。